次世代のモノ作りに挑戦 第17回
株式会社マーヤ 代表取締役社長 菅谷 智氏
東京を拠点に丁寧な服作り追求
取引先のこだわりを実現し信頼関係
東京・足立区椿にあるマーヤは、高い技術力と丁寧なモノ作りで高級婦人服を生産しています。取引先ともすぐに行き来できる立地を生かし、アパレルの〝アトリエ〟的な存在としてデザイナーやパタンナーとも強い信頼関係を築いてきました。東京の本社と千葉県香取市にある工場はそれぞれ13人で、両工場とも裁断からの一貫体制を整え、12二社にのぼる取引先に向けて薄物から厚物まで幅広いアイテムをこなしています。3代目として頑張っている長男の正専務がホームページを使って発信し、コロナ禍にもかかわらず新規の取引先も生まれてきたそうです。「縫製現場はほとんどJUKIのミシン」と話す菅谷智社長にモノ作りへの取り組みや今後についてお聞きしました。
ーコロナ禍が続いていますが、現状はいかがですか。
「昨年5月から今年1月いっぱいまで医療用ガウンを手掛けました。月に8千枚~1万枚でしたが、やったのは東京の工場だけです。取引先のアパレルさんからの仕事も切れずにありましたので、絶対迷惑を掛けないように千葉の工場は一切やりませんでした。アパレルさんの仕事はこの間も続いてきましたが、どうしてもロットが小さくなったり、生地が入り、サンプルも作ったのに緊急事態宣言で急遽ストップが掛かったりしましたね」
ー工場は東京と千葉にあります。
「東京も千葉も13人で、両工場とも縫製は5人くらいずつの2班があり、サンプルから量産までこなします。取引先は12社と多く、ワンピースからスカート、ブラウス、ジャケット、パンツ、コートなどオールアイテムに対応しています。千葉の平均年齢は40歳まで行っていませんが、高校や専門学校を卒業して入ってくれた人たちがずっとそのまま勤め、半数が20年以上のベテラン揃いです。こだわりの強いアパレルやブランドさんの仕事は静かなところでゆっくりやらないとミスが起きかねないので、なるべく千葉で受けます。もう少し生産数量も上がるんじゃないのと思うときもありますが、みんな本当に真面目なので、そこはぐっと我慢して任せています(笑い)。一方、東京はまとめを中心にやっている中国とベトナムの実習生が三人いて、わりと新興アパレルさんや新規先の仕事が多いのが特色です。今年1月に柄合わせに対応できるCAMも導入しました」
ーコロナ禍でも新規の取引先が出てきたそうですね。
「この半年くらいで、新しく立ち上がった新興のアパレル、ブランドさんとの取り組みが3件あります。ホームページからの問い合わせや、既存取引先の生産担当者が会社を変わってお付き合いが始まったりと。新規に取引する際は、必ず一度当社に来て頂いて、現場を見て判断して頂きます。加工賃も高いですよ、とお伝えします。でも、何回か来られて、やっぱりマーヤさんでお願いしますと。何が決め手か分かりませんが、任せておけば安心ということなんでしょうか。当社の特徴をよく聞かれますが、当たり前の機械を揃え、すごく細かいところに気を使っているだけなんです。だから本当に生真面目に服作りをしています。何か手を抜こうとかは考えず、相手先のこだわっているところに時間を掛けてモノ作りして、その時間が掛かった分の加工賃を提示するようにしています」
ーデザイナーの方と話し合いながらモノ作りするケースもあるとか。
「都内工場の強みの一つですが、日々サンプルや納品に伺ったときにアパレルさんの意見を聞く機会がありました。ところが、ある著名なデザイナーさんはご自身が直接訪ねて来られ、仕事を依頼されました。現場も熱心に見学され、メローロックのミシンを見て、裏地の縫い代の始末をメローロックで糸の色を変えて配色する仕様を採用されました。見えない部分ですが、ちらっと見えたときにそこをきれいに見せたいというこだわりなんでしょうね。今でも月1回くらい来社され、まだ形は決まっていないが、次にこういうモノをやりたいと、我々の意見を聞かれます。そういう形で煮詰めて行って頂ければ工場も準備ができるのですごくいいと思います」
放射型の眠り穴で高級感
ー設備面では。
「JUKIさんのミシンが九割で、昨年新規に入れたのが高速電子眠り穴かがりソーイングシステム『LBH‐1790AN』です。縫い形状で放射型の眠り穴かがりがあり、取引先アパレルさんからヨーロッパの高級ブランドの眠り穴はこの放射型だと指摘され、すでに採用していた工場の評価も高かったことから導入したんです。今は依頼されなくてもすべての商品に放射型を採用し喜ばれています。また、デジタルでメスの幅を変えることができるし、メスが落ちるところを正確に調節できるので切り落とした後の〝ボソ〟が発生しません。以前のミシンはボソをハサミで切る必要があったんですが、それがなくなり時間短縮にもつながっています」
ー今後の方向については。
「現状は本当に厳しい状態ですが、コロナが収束するまで何とか踏ん張ろう、頑張ろうと、社員にいつも朝礼で話しています。私は学生の頃からバイトで裁断や営業をやり、36歳で跡を継いで社長になりましたので、もう20年が過ぎました。都内の縫製工場で後継者がいるところは少ないと聞いていますが、幸い長男が戻ってきてくれたので、早く3代目主導で動く会社にしたいと考えています。後継者がいることで新入社員も採りやすくなったし、新たに入社した人たちが班長クラスに育ち、3代目と一緒に会社を残していって欲しいと期待しています」
3代目の継承を目指して
4人兄弟の長男ですが、兄弟の誰かしらがやると思って、自分が跡を継ぐことは全然考えていませんでした。大学を卒業してアパレルの販売員をやっていましたが、ファストファッションの会社で、服の扱いが結構乱雑。小さい頃から服の作り方を見てきたこともあり、それがものすごく嫌でした。兄弟がそれぞれ別の道に進み、家業をなくすことができないと決断し、3年目で区切りを付け、26歳の時に戻って来ました。現在、入社して6年目の32歳で、3代目を目指しています。
今は現場で裁断をしながら、納品をしたり、営業のために立ち上げたホームページを担当しています。ホームページの更新を継続しているとよく問い合わせを頂きます。縫製工場を探している人が潜在的にたくさんいらっしゃることが分かります。
入社2年目に都内工場がセコリジャパンスクールとタイアップして開いていた新入社員向けの「縫製基礎コース」を受講し、ジャケットのパターンから縫製までを学びました。その経験もあって、千葉県の「ものづくりマイスター」である稲荷田征先生が高校で行っているジャケット製作の授業の補助員としてお手伝いに出掛けています。縫製を教えることで、自分の勉強にもなりますね。